「言葉に出さずとも、今ここにある身体そのものが、法(教え)を説いている。」という意味のこの四文字は、神奈川県は横浜市にあります曹洞宗の本山である總持寺の法堂にかかる扁額に書かれております。總持寺で修行をしておりました時分の私には、この言葉がどこか、偉そうというか、上から目線のような雰囲気が出ている様に見え、あまり好きな言葉ではありませんでした。
修行を終えた後、ある大工さんとお話をする機会があり、握手をした際に手の皮の厚みや重さがあまりにも私とは違っていて、まるで「この人の手そのものが、自分が大工だと言っている」様に感じ、驚いたのを覚えております。この時、現身説法の四文字の意味がようやく理解できました。大工さんとしての経験や教えが、手の中に現れていたということです。今現在の私自身の身体にも、今までの人生や経験が、よくも悪くもそのまま表れているのだと思うと、それを「教え」とできる様な生き方をせねばと思うかりです。
生業や、生き様、生活習慣が知らずのうちに己の身体に現れるということは、よく考えれば当たり前のことで、誰にでも当てはまることです。ただの嫌いな四文字から、自分と関わりのある人や、自身の過去に恥じぬ自分でありたいと願う私の自戒の楔に代わったこの言葉が、この文をお読んでいただいた方の中に眠る「あなただけの教え」を見つける手がかりになれば幸いです。